■秀吉の大罪、昌徳宮(チャンドックン)。 |
![]() |
<<<前のページへ TOP 次のページへ>>> |
宋廟からバスに乗ってすぐ。今度は昌徳宮。宋廟と道一本挟んで隣にある。 宋廟が歴代の王の巨大な仏壇で、その隣の昌徳宮は離宮なんだとか。ってことは正宮(王宮)があるわけで、地図で見たらほんの600m西に離れたところに景福宮(キョンボックン)があった。ほんとは三つ(昌慶宮も含めれば四つ)で王宮の見学がセットなのでは? 写真は衛兵交代のシーン。ほんの一瞬見ることができました。 この門は韓国最古の王宮の門だとか。現在、築400年。でも、本来なら築600年でもおかしくないはずなんだって。 「ボケ」はじめていたと言われる秀吉が、かつて文化・文明の先達だった朝鮮半島を掌握したがったのは、日本国内を平定した為政者の「手柄ばなし」にはもってこいだったのね。 文禄・慶長の乱(1592)で全て焼失した景福宮の建造物は、後に完全復元されました。 |
||
![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|
けれども第二次大戦直前、日本が朝鮮半島を強制統治した際、権勢を示すため10の建物を残して、王宮の200あまりの(!)建造物をことごとく破壊したという。 辛うじて残された景福宮の王座だった勤政殿は、韓国最大の木造建築物だとか。 写真は、昌徳宮の正門「敦化門」を守る衛兵の偉い人。 モンゴル相撲の選手かと思うほどガッシリした体格。観光客が横に立ってはしゃいでも微動だにしない。後ろで赤い尺棒様の武器を構えて並んでいる門兵も動かない。まさに近衛兵の鏡。威厳たっぷり。本職の軍人かも知れない。 |
||
![]() |
![]() |
|
……のヨコで、なんかニヤついて、タラタラしている野郎がひとり。 右ハジのあんただよ。後ろ手に組んで、小首かしげて、観光客を眺めてはニヤニヤ、フラフラ。 「公務員だもん、マネキンみたいな事、やってられませんよぉ」 とでも言いたげに終始ぷーらぷら。観光課の職員なのか? そのうち門兵に向かって 「よっ旦那! カッコいーねー!」 とか言って、叩きのめされないかこっちが心配になる。 この門の脇から、時間をずらして言語別にツアーが開始される。これは韓国側の観光サービスで、阪急とはなんの関係もない。だからのんびりしてるとツアーに置いて行かれる。 日本語ツアーが始まる頃には、門の周辺は日本人だらけ。 |
||
![]() |
![]() |
|
門を入って最初の大きな建物。建物の下あたりに群がっているのが今回の日本語ツアーの人々。200人くらいはいた気がする。 奈良の大仏殿ほどではないけれど、人物と較べれば巨大さが解る。王宮の景福宮にある勤政殿は、これよりはるかにでかい。 |
||
![]() |
||
上の建物の近影。 春、新生、始まりを表す鮮やかな緑を主体に、赤・青・黄・黒・白といった丹青(タンチャン)と呼ばれる伝統的な色の組み合わせで装飾されています。 日本の社寺仏閣は「侘寂(わびさび)」をかもす古色のイメージが強いけど、建った当時の外装は極彩色に塗られていたものが多い。日光の東照宮あたりを見ればかなりイメージできるはず。今でこそ渋みがいい宇治の平等院なぞは、もともと地上に極楽浄土を表すために建てられたから、極めつきにハデだったらしい。 |
||
![]() |
||
その平等院が真似したとも言われる「宙合楼」。 池に映える姿が美しい。 ツアーは、池のほとりで休憩時間をとる。 ツアーは起伏のある園内を、徒歩で1時間以上歩きっぱなしだから貴重なレストタイム。トイレも目の前です。見回せばおみやげ屋さんも近くにあり、韓国の人が韓国の観光地で買う「地元のおみやげ」をゲットする、またとないチャンス! |
||
![]() |
||
こちらの女性は、日本語ツアーのガイドさん。 あたたかい時期は伝統衣装の「チマ・チョゴリ」で案内してくれるそう。この日はいきなり寒かったので、普通の制服にコート姿。残念! 流暢な日本語で説明してくれるけど、毎度毎度のルーティンワークに少々つっけんどんな…。ただ、ここでも焼失した過去を語る時には、ものすごく配慮をした言い回しをしてくれるのが胸に痛い。 丹青について少々質問した時、日本でも丹青を使う伝統工芸があったと思うと言ったら、急に真剣な顔になり、こちらが逆に質問されるはめに。探求心溢れるその時の彼女の表情には、知性と真摯な心根が垣間みえた気がしました。素敵な女性です。キレイに撮れなくてごめんね…。 |
||
![]() |
||
ツアー後半のワンシーン。建築様式も、似て、非なる国。 |
<<<<直前のページへ | TOPへ | 次のページへ>>>> |